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「問われているのは知識人としての倫理と矜持」-- 学術会議任命拒否 [仕事とその周辺]

nankaibc.jpg1昨日、少し遠出の車の中で、賞を取ったラジオドラマの連続放送をNHK-FMで聴いた。
南海放送の、「感染」―正義とは何か―
【放送日時】  2020年5月30日(土) 14時00分~14時44分
同局の関係のプレスリリース

感染拡大の真っ只中に作られたドキュメンタリーで、地域でのコロナウイルス感染をめぐって、ウワサ、中傷などがどのように人々の間に「感染」していくかを追ったものだ。

驚いたのは、電話やSNSで攻撃したりするような人たちの権力追従ぶりだ。知事など行政当局が、感染を出した施設の不手際を批判すると、すぐにその施設への攻撃が始まり、逆に、「敵は人ではなくウイルスだ」というようなことを言うと、たちどころに施設への激励や感謝の電話が増える、というのだ。

このような、権力にすぐに追従するような人というのは、このような電話好き、SNSで発信したがるような人に特に多いのか、それともこの国の人々の一般的な傾向なのか。おそらく後者だろうと思われる。(「この国」に限ったことではないかも知れないが。)

ウイルス感染問題とは全く別の世界、学術会議の任命拒否問題でも類似のことがすでに起きているようだ。任命拒否された人に対する攻撃が、直接本人にだけでなく、その関係者・機関に対しても始まっているという情報を目にした。総理大臣という「お上」の価値判断に、忠実に付き従っている、そのような人たちが、もちろん少数だろうが、さっそく出現しているのだ。

権力に従順に追従するというのは、コロナ対策では日本にとって大きなメリットだったかも知れない。なにしろ、何の強制力もなしに「ロックダウン」が可能だったのだ。しかし世の中では「多様性」が重要な局面も多い。排外主義が一層強くなり、国家がそれを公認するようになると(現在すでにその傾向が大きくなっているが)、それに同調しない人に対する攻撃も表面化するだろう。ましてや、たとえ小規模でも隣国との軍事衝突ともなれば、「非国民」と言う言葉もあからさまに復活するかも知れない。その先には・・・。

学術会議問題が孕む重大な危険性はこのような文脈にもつながる。サンデー毎日掲載の、白井聡氏の論説はとても鋭くこの問題の本質に迫っている。私が10月3日の記事に書いたのと同じような内容もあった。真ん中ほど、「知識人の倫理と矜持が問われている」のパラグラフから引用する。
また、今回会員に任命された99名の学者たちから、6名の任命拒否が貫かれた場合どのような対応をするのかについて態度表明がなされたという話も現時点で聞かない。政権の越権行為によって6名の学者を省いてなされた今回の任命は、違法である。99名の学者たちは、違法になされた任命に基づいて会員職に就くことを是とするのか。問われているのは、知識人としての倫理と矜持(きょうじ)である。
ぜひ全文ご一読を。
ちなみに、冒頭のラジオ番組では、四国のお遍路の歴史にも触れていた。この習慣は単に宗教的な意味だけではなく、ハンセン病患者など社会や地域からはじき出された人々の行き場でもあったこと、地域の人はこれを暖かく迎え入れる風習があったこと、ところが、明治期のコレラなどの感染症を機に、お遍路がこれを運ぶ者と決めつけられ排除されたこと、それで最後の行き場まで失った人は、行き倒れや自殺に追い込まれたことをも明らかにしていた。これもまた、今のコロナパンデミックの中で、形を変えて繰り返されているのではないか。番組製作者はそれも問うていたのだろう。
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