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260年前になぜ6万人もの農民が集まれたのか(その2) [社会]

久留米藩の宝暦一揆を描いた帚木蓬生の「天に星 地に花」にはまっている.当ブログのサブタイトル「九州は筑後から九条を効かす」のまさに筑後を舞台とした作品で,出てくる地名もほとんどが日頃行き来する所ばかりだ.エピソードも自分の子供の頃の記憶をよみがえらせる.七夕の揮毫もその一つ.七夕に歌や格言などを大きな短冊に筆で書くのだが,硯に入れる水は里芋の葉に乗った朝露を集める.私にも微かな記憶がある.しかし今では里芋畑を見つけるのは難しい.

さて,表題の,圧政に対する民衆の蹶起が260年前にはこれだけの規模で起こり,現代の日本では起こらないのかについて,前の記事では権力の不可視性とメディアの問題を議論した.もう一つ,当時と今の大きな違いについて,この本を読みながら気づいたことを書いてみたい.
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[この節のタグ#wage]当時は租税が農民自身が育て収穫した米などの農産物だったため,農民にとっては「収奪」であることが自明だった.現代では税金は現物ではなく金銭であるが,その税金の元手である自分が稼いだ賃金が果たして自分の労働の正当かつ正確な評価であるのかどうかが分からない.つまり,資本家に「搾取」されていても,「経営が苦しいから」とか「他社との競争が激しいから」などのレトリックで,その搾取も不可視化される.これに対して江戸時代の農民の場合は,労働の報いに影響するのは気象や天候という自然だけである.

このような資本主義の賃金労働制では,賃金の妥当性を保障するものは,主に資本家と労働者の間の「力のバランス」ということになるだろう.つまり両者の間の「対等な」交渉によって「実験的に」平衡点を探すということだ.いわば,労働力という商品に関して働く「見えざる手」だ.両者が対等であるためには労働側の組織化が,そしてその組織が「御用組合」ではないことが不可欠だ.ところが現在,労働組合の力が極端に弱くなっており,あるいは大半が御用組合だ.それどころか組合に入っていない労働者が大半を占める.

したがって,賃金の妥当性の保障がないだけでなく,労働者側にその(低すぎるかも知れないという)気付きを得る機会さえも失われている.であれば,そこから引き抜かれる税金の妥当性はさらに抽象的な問題になるだろう.したがって,資本家に対する要求も,税金を持っていく政府に対する要求(レベル)も,抽象的な問題になってしまう.

結論としては,このような状況を可視化し,社会の共通アジェンダにしていくためには,当然メディアの役割が重要だ.しかしメディアをそのように向かわせるにも,規模は小さくても非暴力直接行動は重要な手段だ.フランスの「黄色いベスト」アルジェリアの「金曜デモ」,香港の大規模デモも,初めから巨大だったわけではない.
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1401577.gif「天に星 地に花」についての後継記事
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