SSブログ

平和研究集会での発表から [仕事とその周辺]

新提案の政治支配メカニズム図式にジャンプ
-------
先週土曜,佐賀大学で平和学会の九州地区研究会が開かれ,原発問題を中心にスピーチをしました.福島原発事故ことや玄海原発再稼働反対運動が主な内容です.最後の方で,「市民的不服従」という運動形態の重要性を強調しました.この部分が特に目新しいと思いますので,とりあえずその内容を紹介します.(1401577.gif22日追記:当日スライドで紹介した吉田所長の「チェルノブイリの10倍」発言を、門田氏の著書「死の淵を見た男」からこちらに引用

タイトルと見出しは次の通りです.
玄海原発再稼働と市民運動
1 「311」以前
2 福島原発事故の衝撃
3 再稼働をめぐる第1次攻防(2011〜2016年)
4 再稼働をめぐる第2次攻防(2017年以降)
5 福島原発事故の現在
6 対抗勢力の活動における重要な,また新しい形態について

それでは,この最後の「6」の部分を以下に全文紹介します.[ ]で囲まれた数字は注の番号で,末尾にあります.なお,全文のpdfスライド付録(時系列表)も公開します.

------------
6 対抗勢力の活動における重要な,また新しい形態について

対抗勢力の運動に関して,次の二つの「不服従」の重要性を強調したい.
不服従(1)市民的不服従,市民的抵抗,または非暴力直接行動(NVDA)
不服従(2)組織上の不服従

まず不服従(1)の市民的不服従について.簡潔な定義を,とりあえずウィキペディアから引用する(スライド28).
良心*にもとづき従うことができないと考えた特定の法律や命令に非暴力的手段で公然と違反する行為.個人的になされることも,集団的になされることもある.通常は特定の法律・政策に絞って行われる.(ウィキペディア2018年11月=寺島俊穂『市民的不服従』)
*私は「良心」に加え,「あるいはさらに憲法や国際法など上位の法規範」を追加することを提案したい.
表現するもの,伝えるものは「文字的なもの」だけでは不十分であり,「体を張った行動」による強い意志の表明は説得力を持つ.「行為によるプロパガンダ」と言われるものだ.今日見られるような暴政の程度に見合った行動形態でなければ,いわば「釣り合いが取れず」,一般の人には本気と受け取られない可能性がある.一見違法行為の場合もあるが,むしろメディアの歪みなどに対抗して,民主主義の機能不全を補う働きを持つ.「外国だったら暴動になる」と言う人がいるが,本人自身が暴動を起こそうとする人は見たことはない.暴動ではなく,あくまでも非暴力で,かつ司法から逃げ隠れしないことが重要である.
 このような考えに対しては,「過激である」「一般市民の支持を失う」という反応が一般的だが,しかし「やってしまえば」既成事実化の強みを獲得する.それによって一般の「相場観」の形成され,「デモというものはこんなものだ」という常識が形成さる.
 そのタイトルも「市民的抵抗」というマイケル・ランドル(Michael Randle)の説明[6]を引用する(スライド28,29).(→原文の該当部分へリンク
 市民的抵抗は,防衛や安全保障に関してだけでなく,エンパワーメントに関わりがある.市民的抵抗自体が,民主的過程に重要な局面を付け加えることができる.
  (中略)
 市民的抵抗は,世界のどの地域においても,人々にその日々の生活に影響を及ぼす問題に直接介入する手立てを提供する.それは,闘争がその目的を遂げた場合,明らかに民衆に自信を持たせる.しかし,たとえ成功しなくとも,また部分的にしか成功しない場合でも,集団行動をとる集団内に発生する団結した力は個人や集団の自信と自尊心とを増進し,草の根レベルでの民主的参加の新たな可能性を開くことができる.こうしてそれは,無関心*やしばしばそれと取り違えられる無力感†を矯正する手段として機能する.また,とりわけ比較的旧くに確立された民主政の場合,この二つ(無関心*と無力感†)はおそらくほかのどんなことにも増して市民的自由や政治への真の参加への重大な脅威を表しているだろう.それらは,民主的形態が残ってはいても,実質を剥がされているという状況をもたらしうる.選挙民は,自治の過程への積極的参加者というより,政府や大衆政党によってこねられ,操作された粘土のような存在になる.国家もまた,監視力豊かな市民社会の積極的参加が欠如していると,行き過ぎたことをしがちになる.つまり,伝統的な諸自由を徐々に削減し行政権力を拡大する法律を通過させがちになる.
(引用者注:
*「無気力」と訳されているが,原文では“apathy”なので,ここでは「無関心」に差し替えた.

† 原文では“powerlessness”. )
ここでランドルが描写している社会のメカニズムを図式化すると,次の図のようになるだろう(スライド31).(english version of this paragraph, figure, old version without educational institutions)
つまり,資本主義の「搾取」のメカニズムによって資本家に集積された富は政府とメディアを買収し,買収されたメディアは,真に必要な情報を国民に与えず,雑音,隠蔽,プロパガンダによって国民の政治的能力を奪う.このため有権者は,投票に行かないか,自分の利益と反対の候補に投票してしまう.それは再び政府とメディアによる支配を強化する[7].このような,支配・影響力と,労働・財貨の流れの組み合わせによるサイクルが「正のフィードバック」として作動し,この状態で「ロックされて」しまう.
[1401577.gif2019/4/5追記:日経サイエンス5月号にスティグリッツ教授の同様の指摘があります。]
positivefeedback.pages.jpg
english version of the figure

(12/4 教育機関も含むものに改定.旧バージョンはこちら)
このような状況を変えて行くには,単に選挙キャンペーンに力を入れるだけでは不十分である.圧倒的なメディアの,隠に陽の作用には到底叶わない.そこで重要なのが「市民的不服従」である.従来の「おとなしい」「礼儀正しい」デモの枠を超えた,実社会に何らかの影響を及ぼす行動を伴うものである.何万人もの「おとなしい」集会を無視するメディアも,このような「実影響」を伴うものに対しては報道せざるを得ない.それは人々をエンパワーする力を持つ.
 脱原発運動で行われた実例としては,2012月7月2日の大飯原発での「人の壁」という行動[8]がある.(スライド32,33)
DSC_2875h.jpg People-protesting-the-res-023.jpg
 基地問題では沖縄の高江・辺野古での実践例があり,また継続中でもある.反戦・反核運動ではイギリスのトライデント・プラウシェアズ(TP)の活動が目覚ましい. TPの最近の「進化した」事例として,マットレス上の「ロックオン」の事例がある(スライド35).私自身も関与した事例として,「ファスレーン365」[9]での日本チーム封鎖行動4名逮捕の事例を紹介する(スライド36).
 教師が自分自身の「逮捕」を教材にするという風変わりな結末のテレビドラマ[10]があったが,それを真似た訳ではないが,私自身も上記行動での逮捕の写真を,科学者と倫理の問題を扱う授業で使った(スライド37,38).
DSC_1807.JPG 2018fall-heiwakenkyu-figs38.jpg「ファスレーン365」では,大学教員による「セミナー封鎖」[11],つまり基地ゲート前を占拠してセミナーを行うという行動もあった.(→ブログ記事
 知識人・専門家による直接行動としては,遡って1980年代のドイツの判事たちの,INF配備に反対しての座り込み行動[12]も特筆すべきだろう(スライド39,40).

 次に,不服従(2)の「組織上の不服従」について述べる.不服従(1)は運動圏における戦術や文化の問題であるが,他方「体制側」の個人に対して重要なのが「組織上の不服従」である.これは,会社や行政機構,諸団体など組織の構成員が,上司など組織体の特定の規則や命令に対して,これに良心にもとづき従うことができないと考えた場合に,非暴力的手段で公然と違反する行為である(スライド41).原発問題では,電力会社,政府の規制当局などの構成員に関わる問題である.
 最近の科学者・技術者倫理の教科書において,この組織上の不服従が新しい項目として見られる.その一つの形態である「不参加による不服従」の項を,C.E. Harris Jr.他著の「科学技術者の倫理」[13]から引用する(スライド42).
「技術者には,軍事関連プロジェクトや環境に悪影響のあるプロジェクトに対しては,不参加による不服従があり得る.」
(中略)
「不参加による不服従は,専門職の倫理または個人の倫理を根拠とすることができる.技術者は自分が安全でないと思う製品の設計を拒否する場合に,その根拠を公衆の安全,健康,および福利を優先するよう要求している専門職規程に置くことができる.」
(中略)
「・・・組織体は,可能であれば良心を根拠とする要請は,尊重すべきだと考える.共通モラル(common morality)は,個人の良心を侵害することは重大なモラル問題であるとしている.使用者は従業員に,仕事を失うか,さもなければ良心に反するかの二者択一を迫るべきではない.」

不服従があり得るとしているだけでなく,命令違反といえども良心に基づくものであれば,それを理由に解雇できないとまで言っているのである.組織には「良心」は存在せず,それは個人の心の中だけに存在する.およそ社会の巨悪というものは巨大組織によって行われる.組織において個人が良心を発現させるメカニズムを保証することは多少なりとも巨悪の抑止につながるだろう.
 そのようなメカニズムとしてすでに社会的承認を得ているものに「公益通報」やその通報者の保護がある.まだほとんど名目的なレベルにとどまっているのかも知れないが,今後活用が広がることが望まれる.しかし上の「不参加による不服従」を含む「組織上の不服従」はもっと積極的な意味を持ち,組織の悪行に事前にブレーキをかける可能性すら持つだろう.
----------
注(文献など)
[1] 「原発の重大事故による国民全体へのリスクの指標について」,科学・社会・人間,30号(1989),p.27.
http://ad9.org/pegasus/EnergyProblem/NRNpaper.pdf
[2] 日本科学者会議福岡支部核問題研究委員会,「原発事故緊急対策マニュアル」,合同出版,2011 年 4 月
[3] Kouichi TOYOSHIMA, Takasi ENDO and Yutaka HIRAYOSHI, “Measurement of 134,137Cs Concentrations in the Air of Fukushima-City”, 佐賀大学理工学集報 / 佐賀大学工学系研究科, Vol.40 no.2 p.1 -3.
[4] 2012年5月27日の「集会宣言」
https://byenukes-saga.blog.so-net.ne.jp/2017-12-18
[5] ブログからリンク.https://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2018-10-27
[6] マイケル・ランドル「市民的抵抗—非暴力行動の歴史・理論・展望,新教出版社(2003年)p.233. オリジナル:Michael Randle "Civil Resistance", Fontana Press, 11 April 1994.
[7] アインシュタインは次のように述べている.「私的資本が主要な情報源(新聞・ラジオ・教育)を直接・間接に操るということが不可避である。その結果、個々の市民が客観的な結論に達して、政治的な権利をうまく使うということは非常に難しく、多くの場合に全く不可能である。」,何故社会主義か,アメリカの左翼月刊誌 Monthly Review の創刊号に1949年に掲載.日本語訳は次のサイト参照:http://ad9.org/pegasus/historical/whysocialism.html
[8] ブログ記事「講演が10分を超えたら逮捕」ほか参照.
 https://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2012-07-03
[9] Angie Zelter 編 “Faslane 365 - a year of anti-nuclear blockades”, Luath Press Ltd(2008) (→佐賀大学図書館蔵書),Stellan Vinthagen 他,“Tackling Trident”, Irene Publishing (2012年) (→佐賀大学図書館蔵書),豊島耕一「12名の日本市民はいかに英国の核基地を封鎖したか」,世界(岩波書店),2008年1月号,p.278-285.参照.
[10] 「ハンマーセッション」,TBS系で2010年夏に放映.
[11] https://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2007-01-13
[12] Ulf Panzer, Peace Magazine Aug-Sep 1987.
 http://www.peacemagazine.org/archive/v03n4p19.htm
 1401577.gif12/3追記:ブロガーによる日本語訳はこちら
[13] C.E. Harris, Jr.他「科学技術者の倫理」,丸善,2008 年,8.8 節.
(最終改定11/22)
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント