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大学破壊に加担する「リベラル派」 [メディア・出版・アート]

1日の毎日新聞から:
京大吉田寮退去通告
「大学自治」の危機 石原俊
・・・今や多くの大学では憲法が保障する最低限の教授会自治も風前のともしびであり、さらに教育内容にまで国家の直接介入が始まろうとしている。だが皮肉なことに、「大学の自治」を旗印にそうした介入に反対している「リベラル派」の京大総長や副学長こそ、自治寮廃寮を進め、学内の立て看板(タテカン)設置を厳しく制限した総責任者なのだ。・・・
このように,一見「リベラル」が弾圧側に回るのは,京大に限ったことではないようです.もちろん,無教養な大学幹部による破壊はもっと多いと思われます.しかし最悪なのは,これに抵抗しない一般の教員たちです.(5日一部修正,追記)
mainichi181101yoshidaryo.gif
追記:当ブログを「寮」で検索したリストです.ただし2006年以降.新しい順.
九条擁護の集会を開いても憲法原則の蹂躙に目をつぶったら偽善
さっそく学生自治への攻撃
教授会の異変
法政大学法学部と東北大学理学部で間もなく教授会
法政大学法学部教授会は処分決めず.本日午後は東北大学理学部教授会
法政大学文学部教授会が学生3人を退学処分に
東北大学有朋寮,今度は高裁が「強制執行停止決定」
こんどは法政大学で言論弾圧
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2019/5/19追記:肝心の固有名詞が抜けていました.記事にある京大総長とは,現・学術会議会長でもある山極壽一氏です.
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/president/successive
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2021/6/7追記:京大の寮といえば、2004年に熊野寮で国立大学独法化問題で講演をしたことがありました。その時のレジュメです。
「茶色の春」を迎えた国立大学 − 教育基本法,憲法10条の実質改訂が始まっていいる
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山椒魚

高校時代に、旺文社のラジオ講座を聴いていましたが、数Ⅲの講座か何かで、勝浦捨蔵(?文字不正確?)先生が旧制3高の寮歌を「・・・都の花にうそぶけば、月こそかかれ吉田山」と歌っていました。わたしは学力及ばず、京都大学には箸にも棒に掛からないかからない成績で2流大学に進学しましたが、吉田寮がなくなったら、三高寮歌は歌われなくなりますね。

ブログのテーマとは全く関係ありませんでした。
by 山椒魚 (2018-11-05 02:34) 

昔の佐大生

国立大学での自治寮の廃寮は,私が学生生活を送った80年前後がピークだったと思います。我が佐大でも不知火寮の取り壊しがありましたし、同時代に阪大の宮山寮とか神戸大学の学生寮もつぶされる中で、京大だけが(ほかにもあるかもしれませんが)なぜか、持ちこたえた感じでした。

寮闘争の当事者では無いので、当時、「良識派」の教授たちがどのような態度をとったのかはよくわかりませんが、大学紛争当時、学生の弁護についていた憲法学者のM教授が、学生寮の解体には賛成していたという話を聞いたことがあります。

たかが学生自治の問題であっても、「政治学者」や「憲法学者」が自らの大学でどんな態度をとるのか、見ておきたいと思います。
by 昔の佐大生 (2018-11-05 08:03) 

yamamoto

佐賀大学の大学祭中央実行委員会にツイートしてみてはいかがでしょうか?
https://twitter.com/sagauni_fes
by yamamoto (2019-05-19 10:49) 

中本正一朗(沖縄県名護市在住)

私が神戸大学国維寮の委員をしていたのは佐藤栄作首相のノーベル賞受賞やベトナム戦争に反対する日本全国の学生運動が消滅しかけた1970年前後のころです。いわば日本全国の大学で学生運動が矢折れ弓尽きた負け戦の時代に、私は寮生を代表する立場で神戸大学当局といくらかのやり取り(喧嘩)をしたことがありました。私にとっては「負ける戦の気配(暗雲)が当時の20歳代のガキどもの頭の中のあちらこちらに浮き沈みしていた1970年代というわけです。このころにわれらを徹底的に弾圧していた神戸大学の学生部長をしていた湯浅光朝教授によって我々20歳代前半の神戸大学のガキどもは、教授連中によって嘲笑され、冷笑され、いじめられた」と私は思うことがあります(註1)。
 また70年代前半の神戸大学と言えば、愛媛大から神戸大に転勤してきた神戸大学理学部事務官僚(30歳前半の右翼職員)がまるで悪人どもを退治する武装警察官僚のような真似をして、大学当局に団体交渉を求める我々ガキどもからなる寮委員にたいして、空手キックをお見舞いするような(凶悪官僚が威張る)暗黒の時代でした。 
 
さて、現代ニッポンの大学や国立高専の教授や職員たちの深層心理にもまた、(ちょうど1970年代の湯浅光朝教授や、ガキ学生たちに対して乱暴な空手キックをお見舞いしたような)凶暴で低俗な精神が流れているように私は思います。
註1:私は老年になって(いわゆる教授の立場で)20歳前後の悪ガキを私が虐める権力を入手して初めて、私は
「大学や国立高専のどのような悪ガキどもに対しても、権力者は愛情を注ぐべきであるという(イエスや親鸞の教え?)に絶対的な確信を持てるよになりました。(但し、辺野古で座り込みデモする老人を蹴ったり殴ったりする沖縄県警機動隊員に愛情を注ぐべきは、沖縄県警機動隊員のご両親であると私は確信してます。私は凶暴な沖縄県警機動隊員の近傍には近づきたくありません。)
中本正一朗、住所:郵便番号905-0021沖縄県名護市東江1丁目19-5

(20歳前後の悪ガキどもは、単なるバカの集合に見えたのでしょう。    です。        註:日本の科学史分野では湯浅教授は有名人だそうです。、日本語版の日本における自然科学の歴史書の英語版(MIT出版)をたまたま発見したのは私が神戸を離れて久しくなった1960年代です。
by 中本正一朗(沖縄県名護市在住) (2019-05-24 22:36) 

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