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ポスト・トゥルース,ポスト・デモクラシーの時代の「表現の自由」 [憲法・教育基本法]

12日の記事に書いたように,相変わらずメディアは共謀罪法案のことを全くと言っていいほど取り上げない.先週金曜の「報道ステーション」はむしろ例外的だ.重大な政治アジェンダをそれにふさわしく扱わないということは,それほど重大問題ではい,ないしそんなアジェンダは存在しないという暗黙のメッセージであり,広い意味で「虚偽報道」である(ポスト・トゥルース).このような状況では多くの市民がこれに危機感を抱かないのも無理はない.

今日の毎日も両サイドのカバーページやその付近には全く掲載せず,なんと12ページという奥の奥,ふつう全面公告や暮らしの情報などが載るような場所に置いている.毎日への電話で教えてもらってやっと分かった.その際,このような紙面割り付けの意図は何かも聞くべきだった.応援のクリック歓迎
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このようなメディア状況では民主主義は絵に描いた餅であって,市民はそれを是正するために必要な行動を取らなければならない.デモや集会も,非暴力の範囲で,メディアが取り上げざるを得ないような形態,方法を取ることが必要だ.「表現の自由」で表現すべきものは,単に主張や情報だけではない.表現する者の「本気度」もその一つである*.つまり,たとえば逮捕も覚悟した行動というのは最も本気度が伝わるものの一つだろう.共謀罪の成立を許し,それによって逮捕されるのか,それとも,共謀罪阻止行動で逮捕されるのか,どちらを選ぶべきなのだろうか?

メディア露出のために逮捕を積極的に使うという戦術もあるだろうが(海外でよく行われる),まずは,必要性に迫られての行動を,逮捕のリスクも冒して実施するということだ.

活動家が逮捕回避ばかりにこだわっているかぎり,取りうる行動は限られ,重要な機会を逃してしまう.それが一昨年の戦争法反対運動の教訓ではないのか.市民が逮捕を恐れている間は,権力は市民を恐れはしない.安倍政権も同じだ.

このような話には,すぐに「日本では一般市民の反発が強く逆効果」という反応が返って来るが,やってみないと分からないはずだ.単に市民が慣れていないというだけのことではないか.「行為によるプロパガンダ」という効果は国を問わず普遍的だと思う.
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* 筆者の乏しい経験の中からであるが,スコットランド・ファスレーンの基地封鎖では,短時間の座り込み封鎖にはむしろ警官が交通を止めて座り込みを実質的に誘導した.つまりこれを「表現の自由」の範囲内と認めたのだろう.ただし,それに続く長時間の封鎖を意図した行動には強制解除と逮捕で応えたのであるが.
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一昨年の戦争法反対運動の教訓
社会評論の短文を転載:戦争法,どうすれば阻止できたのか
関連記事(同年):フル・スペクトラム・レジスタンス または ブロードバンド(広帯域)レジスタンス
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1401577.gif6/29追記:表題の「ポスト・デモクラシー」についての記事
本の紹介:ポスト・デモクラシー―格差拡大の政策を生む政治構造
クラウチ教授の処方箋
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