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転載:核に対する知識人の責任と市民運動の新しい質 [仕事とその周辺]

20130201G039.jpg3年前に次の書籍に発表したものです.出版社の許可を得て転載します.

木村朗編「九州原発ゼロへ、48の視点—玄海・川内原発の廃炉をめざして—」(2013年),p.158〜170.
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核に対する知識人の責任と市民運動の新しい質
 核エネルギーという誤った選択
 今も続く福島原発災害
 「原子力ムラ」の隣村の責任
 市民運動における非暴力直接行動—佐賀と大飯原発
 市民運動の新しい質と今後の発展
 運動圏の文化
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核に対する知識人の責任と市民運動の新しい質
                豊島耕一
核エネルギーという誤った選択
原発に対しては,同じ「核エネルギー」を使う核兵器とは違って直接に人を殺傷する目的で作られているわけではないという理屈で,私自身は反対は言いながら,積極的に脱原発運動にはコミットして来ませんでした.しかし今「フクシマ」を目の当たりにすれば,結果的には原発が人々にとっての差し迫った最大の脅威だったのです.もちろん,ヒロシマ・ナガサキのあと核戦争や事故による核爆発がこの国の中で起こっていないことは,単なる幸運な偶然かも知れません.しかし放射能の量という点では原発は原爆の比ではありません.たとえば玄海3号機が1年間運転されると,広島原爆1,700発分の放射能を生じるのです.

また,「原子力の平和利用」というお題目そのものが,少なくともわが国に関する限り,実は「第五福竜丸」の被ばくを契機に盛り上がった反核平和運動を潰すのが大きな狙いであったという指摘がなされています[1].非常に説得力があり,もしそうであれば多くの国民だけでなくわが国の平和運動も騙され続けてきたことになります.

自然界に存在せず,人類がこれまで付き合ったことのない莫大な量の人工の放射性核種によるリスクを,それも医療ではなく「たかが」発電のために抱え込むというのは,そもそも誤った選択でした.しかもそれが実はエネルギーの必要性からではなく,核兵器温存,あるいは国によっては核兵器製造が主な目的であったとすれば,なおさらです(そもそも人類初の原子炉「シカゴ・パイル」は,核兵器製造のための基礎研究の一環でした).

今も続く福島原発災害
原発事故による放射能被害は福島県に限られません.放射能の拡散と土地への沈着は,東北から関東へと広範囲にまたがっています.図は文科省が発表している汚染マップを簡略化したものですが,危険度の基準として「放射線管理区域」として扱うべき表面汚染濃度4万ベクレル/m^2の境目が含まれる3万〜6万ベクレル/m^2の部分を薄い色で示しています.濃い色は6万を上回る地域です.これを見ると,「放射線管理区域」に相当する場所が北は宮城・岩手の県境から,南は千葉県北西部,西は群馬県まで広がっていることが分かります.チェルノブイリの場合は半径300キロまで3万7千ベクレル/m^2[2]以上の汚染がつながっているのに対し,福島の場合は最も遠くで群馬県南西部の250キロと,距離的には大きくは違いません(ただしチェルノブイリでは500キロ以遠にも飛び地としてこの濃度の汚染地があります).人口密度の違いを考慮すれば,この汚染地域に住む住民の数はむしろ福島事故の方が多いのではないでしょうか.
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大気中放射能のデータも被害の広大さを裏付けています.群馬県高崎市の核実験探知のための施設が事故直後の大気中の放射能の大きなピークを記録してるのです.日本原子力研究開発機構・高崎量子応用研究所の装置は,大気中放射能を高感度に,かつ核種を識別して測定していますが,福島事故以後これに由来する放射能を日々感知し,公表しています.事故直後の3月15日から16日にかけてこの測定器のフィルターを通過した大気には,1立方メートルあたり5.6ベクレルのセシウム137が,短寿命のテルル132では実に27ベクレルが含まれたことを記録しています.過去のデータとして広島県のサイト[3]にある文書 を参照しますと,セシウム137では大気圏内核実験の影響が強く残る1960年代後半の値の実に5万倍にあたります.

福島事故は時間的にはチェルノブイリよりも長々と放射能を出し続けています.上述の高崎のデータは,福島からの放射能放出が長期にわたってダラダラと続いていることを示しています.本稿執筆時で最新の7月末の値で,セシウム134,セシウム137がそれぞれ54および83マイクロベクレル/立方メートル[4]で,これは前出の広島県のデータと比較すると福島事故の直前2000年代前半の値の数百倍であり,大気圏内核実験の時期の値に並びます.

「フクシマ」は収束からほど遠いどころか,「宙に浮かぶ裸の原子炉」である4号機プールという恐ろしい問題も抱えており,今後も予断を許しません.

「原子力ムラ」の隣村の責任
福島原発災害をめぐっては,「原子力ムラ」の人々の責任が当然ながら問われますが,そこだけに限るべきではないでしょう.筆者が属する物理学のコミュニティーも,福島事故にたいして責任がない,という態度を取るべきではないと思います.原発に対しての直接の関与はほとんどないかも知れませんが,一般市民と比較すれば原子力技術には格段に近い位置に居たのであり,いわば「隣村」の住民です.米国物理学会の原発問題に対する対応と比較すると日本物理学会の原子力問題への無関心ぶりが際立つのです.米国物理学会は1975年と1985年の二度にわたって,原発の炉心溶融事故について研究し,詳細な報告書を公表しています[5].原爆開発の一環としての原子炉を作り出したのはアメリカの物理学者であるという歴史が背景にあるのでしょうが,それから30年以上も経てば「業界」ごとの専門分化は相当進んでいたはずです.これと比較してわが国では,個人としては多くの物理学者が批判や分析に関わってはきたものの,物理学会としての公的な関わりはまったくなかったと言ってよいでしょう.もし物理学会・物理学コミュニティーが違った政策・姿勢を取っていたら,もしかすると「フクシマ」は防げたかも知れません.

そのような,隣接する,あるいは異なる業界からの批判と介入は,原子力に限らず,大勢の人びとの安全など社会に大きな影響を及ぼすような技術では不可欠のものと見なすべきです.しかしこのことは,今回の福島事故の教訓の公認リストには未だ入っていないようです.それは,放射線の健康影響についての「原子力ムラ」の教義がまかり通っている状況に対して,例えば物理学コミュニティーからの批判があまりにも弱いことからも明らかです.

長崎大学医学部教授で事故直後に「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」に就任し,7月には福島県立医科大学の副学長となった山下俊一氏は,ICRPさえもびっくりするような放射能「安全・安心」言説を福島県下で振りまきました.彼の「100ミリシーベルトまで安全」という有名な言葉は多くの福島県民に誤った安心感を与え,より正確にリスクを自覚する人々との間の深刻な亀裂の原因となっているようです.彼に対する学者・研究者からの余りにも少なすぎる批判は,福島県民の,特に子どもたちの深刻な被ばくをさらに放置する結果となっています.この状況とそれをめぐる大学社会の批判的検討は拙稿「『御用学者』批判ができない大学社会」[6]を参照いただければ幸いです.

驚くべきことに,この山下氏に「反省文」を提出させたのは弁護士で当時NPJ[7]編集長であった日隅一雄氏です.山下氏は日隅氏への本年5月31日付けの回答で,「私自身が現地でお話しした内容から,100mSv以下の安全性を強調しすぎたとのご批判と,そのために一部の県民の皆様に不安と不信感を与えたとするご指摘には,大変申し訳なく存じます.(中略)現在,偏見や先入観,不当な差別があるとすれば,これは取り除かなければならないと考えます」と述べています.末期ガンを公表していた日隅氏はその後間もなく帰らぬ人となりますが,今も閲覧できる彼のブログには,山下氏の回答とともに,日隅氏の「山下氏自身ができる偏見除去方法は、山下氏自身が避難の権利があることを認めることだ」とのコメントが残されています.

フクシマ後の現在,放射線の人体影響に関することがらはもはや放射線の専門家の問題ではなく,社会の一般常識となりました.福島県だけでなく関東から東北にかけての膨大な「ヒバクシャ」の健康と生命に関わる問題であり,食品汚染や「がれき広域処理」問題のことを考えれば,すべての人々に関わる問題だからです.少なくとも知識人は専門外を理由にした沈黙は許されない状況にあると思います.米国の公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉に「究極的に悪いのは悪人の残忍さではなく, 良識ある人々の沈黙である」[8]というのがありますが,これを借用すれば,「究極的に悪いのは御用学者ではなく,良識ある学者たちの沈黙である」となるでしょう.日本人による“ABCC”,いやそれどころか「731部隊」が今日私たちの目の前で起きているのにこれを研究者が告発しなかったら,そのこと自体が不作為の責任として問われるのではないでしょうか.

放射線の人体影響の評価をめぐっては,原発に反対ないし批判的な学者の中にも,筆者から見れば曖昧な態度を取る人も少なくありません.安斎育郎氏は核兵器廃絶運動では原水禁世界大会の実行委員長を努めるなど重要な役割を果たして来ていますが,この問題では歯切れの悪い発言があります.昨年4月19日に文科省が福島県の学校校庭の使用基準として「年20ミリシーベルト」という数値を出しましたが,福島の父母たちは,これはとんでもなく高い値であり,この基準ゆえに子どもたちに不要な被ばくがもたらされていると訴え,何度も東京の議員会館まで出向いて訴えました.私も昨年5月2日に参院議員会館で開かれた市民団体と政府との交渉に参加しましたが,広い講堂が全国から集まった300人を超す人でいっぱいでした.

この問題に関して,安斎氏の福島での講演を紹介する記事が「しんぶん赤旗」2011年5月12日の紙面に出ています.そこには「3.8マイクロシーベルトとか20ミリシーベルトとか,数字の議論をする前に,放射線を出すものを取り除くことが第一です」という氏の言葉が引用されています.講演の全容は把握していませんが,記事を見る限り,この「数字の議論をする前に」という言い方で数字そのものの問題から逃避していて,この極端な数字そのものがもたらしている住民と子どもたちへの深刻な影響に目をつぶっているとしか見えません.「取り除くことが第一」と言いますが,取り除いて到達すべきレベルつまり「数字」を決めなければ着手のしようもないのです.

安斎氏の記事を載せた赤旗の論調も同様で,この「20ミリシーベルト」問題には明確な姿勢を示していません.市民団体が呼びかけた20ミリシーベルト撤回要求の署名には民主,社民,自民,みんな,大地の各党から国会議員20名が賛同しましたが,原発被災者支援に強力に取り組んでいるはずの共産党の議員の名前がありません(昨年5月24日時点).これは,同党にアドバイスする学者の傾向の反映,つまり放射線のリスクに対する見方が相対的に楽観的な人々に偏っていることの反映でしょう.

この問題に関しては,千葉大学の小林正弥氏が著書「原発と正義」[9]の中で,「政府は少なくとも『20ミリシーベルトではリスクがあるが,1ミリシーベルトという基準を厳密に守ると大量の避難や疎開が必要になるので,その被害や損害と比較衡量すると今は20ミリシーベルトに設定せざるを得ない』というように明確に説明すべきだった」と述べています.線引きの数値自体の是非は別として,これが説明における最低限の誠実さというものでしょう.しかし昨年5月2日に私も目撃した文科省の役人の態度は「安全」の一点張りで,除染の必要さえないと言い張ったのです.

市民運動における非暴力直接行動—佐賀と大飯原発
科学者は同時に一市民でもあり,核問題には市民としてもコミットすることになります.筆者の場合は,冒頭に述べたように脱原発で積極的に活動していたわけではなく,運動への関与は佐賀・玄海原発での「プルサーマル運転」を阻止する裁判が始めてでした.この裁判は今も続いていますが,「フクシマ」を受けて,玄海原発すべての運転の差し止めを求める請求が,昨年12月に追加されました.

3.11以後に全国の原発で最初に「再稼働」が狙われたのがまさに玄海原発で,定期検査と冷却水へのヨウ素漏れで停止していた2,3号機でした(当時1,4号機は稼働中).3号機は,福島第一の3号機同様プルサーマル運転です.佐賀県の古川知事は福島原発事故の直後の3月15日にすでに, 2号機,3号機の再稼働については九電に延期要請するつもりはないと述べていました.

佐賀の市民運動は,再稼働を何とか止めようと県に働きかけていました.再稼働を決めるにせよ,その前提として県民への十分な説明を求めました.それに対する県と国の対応が,ケーブルテレビによる6月26日の経産省主催の「説明番組」でした.しかしこれが説明不足と不評だったため,県は7月8日に550名規模の説明会を実施すると発表しました.市民運動側は,このイベントをヤマ場と見て,その向こうをはって,ほぼ同時刻に佐賀市内で複数の専門家を招いてオープンな「市民がつくる玄海原発説明会」を開催することにしました.

九州の活動家が佐賀に集結して,いわば総力戦で作り上げたイベントで,たくさんの聴衆を集めましたが,計画時の緊迫感は消えていました.というのも,その2日前の菅首相のストレステスト発言で再稼働の計画が事実上棚上げとなったからです.直接的には菅首相の発言によるものですが,地元の市民運動が間接的にはなにがしかの効果を及ぼしたと考えれば,運動の自信につながるというものです.そしてそれは「説明番組」の「やらせメール」を告発させる力として働いたかも知れません.

佐賀の反原発運動は昨年の夏からは,署名,当局への要請,集会・デモという従来の枠を超えて,穏健な「直接行動」の手法をも獲得して行きました.昨年6月10日の県との交渉でのことですが,市民団体が知事からの回答を求めても,担当者は「知事が回答するか分からない」というような,まるで郵便ポストと変わらない態度でした.これまではそれでも「行儀よく」引き上げていたのですが,何年も前から変わらないこのような県の態度にさすがの市民側の怒りも融点を超え,直接知事室まで押しかけることになりました.県庁職員数人の廊下での「ディフェンス」をすり抜けて,十人ほどが廊下で5時の閉庁まで粘りました.地元のNHKテレビは「知事室前で座り込み」と誇大宣伝してくれました.(その時のブログ記事:「佐賀県庁にて」

知事室前には会議室で応対した部局(原子力安全対策課)の職員が先回りして知事室入り口をブロックし,そこでのやりとりで,市民団体の要望を知事に直接伝えず,単なるメールのやり取りだけであることが判明しました.このような情報も県庁への「ストレステスト」で初めて得られたもので,単なる言葉のやりとりだけでなく,行動によって得られる情報の質があるという例です.

県の職員による庁舎内廊下での「ディフェンス」行為,すなわち人間バリケードは,6月24日の抗議行動の際にはより徹底したもので,職員の密集軍団にはアリの入る隙間もありません.この行動は,その直前に知事が発表した,上記のケーブルテレビによる「説明番組」は閉鎖的であるとして抗議し,開かれたものにするよう求めるためでした.知事はこの時オフィスにいましたが,多数の職員に囲まれて逃走したとのことです.批判的な市民とは絶対に会わないという知事の異常に頑なな姿勢という情報が,やはりこの「ストレステスト」でもたらされたのです.

さらに佐賀の穏健で節度ある「直接行動」は, 6月26日のケーブルテレビ局前の抗議行動,そして7月11日の県庁包囲・要請行動とつながっていきます.11日は人が多かったためか県庁側が庁舎立ち入りを拒んだのですが,市民は非暴力的にロビーに入りました.これまたテレビの形容は大げさにも「県庁突入」でした.このときの動画を見ると,俳優の山本太郎氏がこの行動が平穏に行われるよう始終リードしていましたが,彼を「建造物侵入容疑」ではるか京都から告発した人がいました.

今回の一連の反原発運動の中で,直接行動として最も注目すべきものは大飯原発再稼働阻止のための道路封鎖行動でしょう.今年6月30日から一昼夜以上にわたって,大飯原発に通じる一本道を封鎖し続けたため,再稼働に立ち会うために原発に向かった経産省の牧野副大臣は船で迂回せざるを得ませんでした.長時間の機動隊との対峙にもかかわらず,警察は誰も逮捕することが出来ませんでしたが,これは市民側の徹底した非暴力と,途切れることのないネット中継を見守り続けた世界中の市民の眼差しによるものでしょう.作曲家の坂本龍一氏は,デモ隊の「サイカドーハンタイ」のコールをサンプリングした音楽を作りました.つまり彼もリアルタイムでこの行動に「参加」した一人です.

このように直接行動はメディアの目を引きつけることによって,重要な現実とそれに取り組む運動とを「可視化」する上で極めて効果的です.新格言「巧言令色を以て仁を為す」を提唱します.

市民運動の新しい質と今後の発展
北九州市では,「がれき広域処理」という放射能拡散政策に反対するがれき搬入阻止行動においても,トラックの下にもぐり込むという直接行動が行われました.わが国では直接行動はこれまで運動圏においても「過激」という受け取られ方が支配的でしたが,この数年で少しずつ見方が変わってきたように思われます.沖縄・辺野古の「海上座り込み」や上関原発阻止のためのカヤック隊などは,社会運動において「結果責任」を自覚した必然的な戦術で,この分野で実績を残しています.これらは一見すると違法行為のようですが,より重大な違法行為を防止したり,多くの人々への重大な被害を予防するためのものとして法的・道徳的にも正当化される場合があり[10],まさに上記の行動はこれに該当するでしょう.

直接行動ではない通常の表現行動においても,首都圏反原発連合の呼びかけによる首相官邸前の「金曜デモ」が十万を超えるような空前の動員[11]を実現し,しかもその参加者の幅もかつてない広がりを示すなど,この国の市民運動は新しい質を獲得しています.この金曜デモの特徴は,規模の大きさにもかかわらず驚嘆すべき規律性を持つことと,何ヶ月にもわたる持続性です.これらはまさに主催者が最も重視するもので,このため一部の人たちは主催者が警察に妥協し過ぎていると不満を示しています.警察の阻止線が参加者の自発性によって崩壊し,デモが車道いっぱいに展開する事態も繰り返されました.

首都圏反原発連合が呼びかけた7月29日の国会包囲のネット中継を,その終了直前から見始めました.ちょうど警察の規制ラインが人の波によって崩壊したところでした.主催者のミサオ・レッドウルフさんが,例のマスク姿で「きょうの行動だけでは原発は止められません」と歩道に戻るようにと訴えます.「じゃあ,どうしたら止められるんだ!」とヤジが飛びます.そのような状況が10分か20分も続いたでしょうか.そして主催者が「終了」を宣言,そうすると程なく集会は解散モードに切り替わりました.なんとあっさりしていることかと驚きました.群衆の中からは「もったいない」という声も聞こえます.政権側はいずれこのデモも下火になっていくとタカをくくっているでしょう.実際その恐れもあります.「鉄は熱いうちに打て」という格言が気になります.

人々に訴える力は,抗議者の人数だけでなくその人たちの訴えの強さにあります.それは表現のレベル,つまり行動に反映します.言葉によるだけではない「行為によるプロパガンダ」[12]です.たとえば,2時間で引き上げず官邸前の車道を占拠し続ければ逮捕者も出るでしょうが,そのことはマイナスというばかりではありません.逮捕も恐れず抗議の意志を示し続けたということで,それが強いメッセージとなり説得力を獲得するのです.

主催者の首都圏反原発連合としては,そのような「過激」な行動は多くの参加者にネガティブに働き,次回からの参加をためらわせると考えるのでしょう.しかし本当にそうでしょうか?暴動のような暴力的事態に発展しない限り,また逮捕されるのが“志願者”に限られる場合,つまり逮捕を避ける行動メニューが用意されている限りは,安心して参加出来るでしょう.私が経験したイギリスの核兵器反対の直接行動は,参加者にまさにそのような幅広い参加形態のスペクトルを用意していました(例えば「大学人によるセミナー・基地封鎖」[13].道路に座り込めば逮捕の可能性があるが,歩道で応援する人は安全).

「デモで社会が変わるのか」という問いに柄谷行人氏は「デモをすることで『人がデモをする社会』に変わる」と述べていますが[14],その言い方に倣えば,「人が逮捕を恐れない社会に変わる」ことが重要です.つまり警察官の命令を「法」と勘違いしている人を減らす必要があります.第一次大戦の際,アインシュタインは戦争に反対して,「2%の人間が兵役拒否すれば,政府は戦争を継続できない.なぜなら政府は兵役対象者の2%の人数を収容する刑務所を保有していないからだ」と発言したと言われます.多くの若者が胸に「2%」と書かれたバッジを付けたそうです.今の運動に当てはめれば,たとえば官邸前抗議で逮捕者が出たとしても,その数が膨大であればその逮捕者を収容する留置場の確保が大変でしょう.つまり「みんなで逮捕されれば恐くない」のです.そして不正を試みる権力にとってはこのことが一番恐いのです.実際私が関与したスコットランドの反核運動の場合,あまりにも逮捕者が多いためまともに勾留・裁判に回したら司法システムが麻痺するので,逮捕は「キャッチ・アンド・リリース」のゲームになっていました.日本の場合はもちろんそうは行かずリスクも比べものにならない程大きいので,この分野での実践者にはパイオニア精神と共に,慎重さが必要です.さしあたっては定年退職者のような自由人がこの分野に最も近い位置にいるでしょう.

運動圏の文化
最後に,市民運動がダイナミックに発展し成果を挙げていくために,いくつか問題提起をしたいと思います.脱原発運動が小さな市民グループが中心となり,従来の党派的な枠組みを超えて,また様々な団体の垣根を越えて幅広い共同が実現しているのに比べ,伝統的な組織の間の関係は微動だにしないように見えます.たとえば原水協と原水禁は今年の夏も二つの同じ都市で,同じような日程で集会を開きましたが,両者の間で挨拶の交換ぐらいはあったのでしょうか.政党の間の関係も同様で,脱原発やTPP阻止で一貫している勢力は共産党と社民党という小政党のため,国会で有力な地歩を占めるには,どうしても統一戦線が必要です.しかしそのための動きがあまりにも弱い.

この原因の一つは,組織の構成員なり支持者があまりにも幹部に従順すぎるためではないでしょうか.イギリスの政治社会学者の「ポスト・デモクラシー」[15]という本の結論部分に次のような一節があります.それは,党員や党の熱烈な支持者が頑なに党首脳に忠実であろうとすればするほど,党首脳はそれを当たり前と考え,一般市民の考えや利益を配慮することが少なくなる,というのです.あるいは,単なる怠惰から幹部任せにしていたり,「有能な人が集まっているはず」と過信しているためかも知れません.いわゆる「お任せ民主主義」ですが,それは民主主義ではありません.

もう一つ指摘したいのは,運動圏における「差別」の問題です.市民運動においては,それぞれの団体が様々な目的,課題を掲げ,それぞれ固有の思想や信条を持って,あるいはそれと無関係に,活動しています.ですからこれらの「条件」,つまり思想・信条も含む条件で個人や団体の加入・参加を制限することもあり得ます.このことは逆に,合理性のない不当な選別が行われたとしても,それが「差別」と認識されにくいということになります.例えば,諸団体が共同行動に取り組もうとするとき,特定の個人に対しては「あの人はX系だ」とか,団体に対しては「Y会の実態はZ派」だというような「耳打ち情報」が幅を利かせ,それだけで特定の個人や団体の排除につながったり,逮捕された場合などでも援助がなされなかったりすることがあります.

参加者・団体の選択は,対象となる共同行動の実際的な必要性から行われるべきで,それに直接関係しない過去の来歴を問題にすればキリがないし,運動参加者の間での情報や認識の共有は不可能です.さもなければ「事情通」の耳打ちが支配すると言うおかしな状況になってしまいます.もしそのような透明性を欠く運営が行われれば,排除された側は何らかの差別感を味わうことになるでしょう.「運動圏における差別」ですが,運動圏といえどもそこで活動する人にとっては「実生活」に違いありません.

マルティン・ニーメラー牧師の「ナチが共産主義者を襲ったとき,自分はやや不安になった.けれども結局自分は共産主義者ではなかったので何もしなかった」で始まる有名な文章がありますが,この「共産主義者」という言葉は何も共産主義者に限られるものではなく,社会の中で少数派と見なされ,あるいは異端視されているすべての人々のことなのです.
(木村朗編「九州原発ゼロへ、48の視点—玄海・川内原発の廃炉をめざして—」(2013年),p.158〜170)
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1) たとえば孫崎亨著「戦後史の正体」,174ページ.
2) チェルノブイリの資料ではキュリー単位のため区切りの数値が一致しない.
3) 松尾 健,「広島県における環境放射能調査」,第16回保健環境センター業績発表会,平成19年1月23日.
4) ただし高崎の装置はセシウムの汚染が完全には除去できていないとのことである.
5) Rev. Mod. Phys. 47(1975), S1 およびRev. Mod. Phys. 57(1985), S1.
6) 「日本の科学者」Vol.47 (2012年4月),p.19-25
7) News for the People in Japan, インターネット上の日本語のニュースメディア
8) 私訳.オリジナルは"The ultimate tragedy is not the brutality of the bad people, but the silence of the good people."
9) 小林正弥著「原発と正義」,光文社新書,2012年,p.126.
10) 非暴力直接行動の理論と実践を包括的に論じた文献はマイケル ランドル著「市民的抵抗—非暴力行動の歴史・理論・展望」(新教出版社,2003年)を,核兵器反対運動への適用例は「トライ・デンティング・イット・ハンドブック」日本語訳第1版(2004年11月,発行:ゴイル湖の平和運動家を支援する会,アンジー・ゼルターさんを迎える東京集会実行委員会)を,筆者らの一実践例は岩波の「世界」2008年1月号,p.278-285,「証言2007」(長崎の証言の会)第21集142ページの三好永作氏の文章を参照.
11) 「動員」という言葉は最近は,個人の自発性を欠く行動という悪いニュアンスで使われるようになったが,ここでは英語の“mobilization”の訳語と解釈していただきたい.
12) 前掲書「市民的抵抗—非暴力行動の歴史・理論・展望」p.134.
13) 豊島耕一「核廃絶・科学者・直接行動」,証言2007(長崎の証言の会),p.130-141.
14) 柄谷行人「人がデモをする社会」,世界(岩波書店)2012年9月号
15) コリン・クラウチ「ポスト・デモクラシー 格差拡大の政策を生む政治構造」,青灯社(2007),p.171.
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