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タウン情報誌の原子力問題シリーズ3月号は核開発の歴史 [仕事とその周辺]

DSC_2655.JPGFacebookで宣伝したのですが,このブログで取り上げるのを忘れていました.昨年6月の記事で紹介した佐賀・久留米地域を対象とするタウン情報誌の原子力問題シリーズですが,先月号は私の担当で,核開発の歴史を取り上げました.すでにコンビニの店頭から消えていますので,ネット上で公開します.これだけコンパクトにまとめたものは少ないと思います.どうぞご覧下さい.応援のクリック歓迎 以下にpdfへのリンクを書きます.


初めの2ページ http://ad9.org/pdfs/publish/P078+079tjs1303.pdf
3ページ目 http://ad9.org/pdfs/publish/P080tjs1303.pdf
印刷直前の校正版なので,わずかな修正があったかも知れません.htmlバージョンがこの雑誌のサイトの次のページで間もなく公開されます.
http://www.tjsaga.co.jp/tjs/gensiryoku/gensiryoku.html
なお,第9回(1月号)は,まさに今問題になっている汚染水のことを取り上げています.
sagaarea.jpg上の表紙は久留米とその周辺地域向けで,佐賀県では左のようにタイトルが"Saga"となっています.
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コメント 4

バッジ@ネオ・トロツキスト

「原子力平和利用」論幻想の普及については、アメリカを筆頭とする好核勢力のプロパガンダだけに責任を押しつけることは出来ないと思いますね。
粗雑な左派的生産力論や技術論から「核の平和利用」に(それどころか「自衛的」軍事利用にも)肯定的な態度を採っていた20世紀左翼も「共犯?」か「従犯?」だったように思いますから。

昨日の「しんぶん赤旗」のコラム子も、いまだに手塚治虫擁護にかこつけた歴史隠蔽を続けていますから、このあたりを明確に総括することは進歩派やマルクス派を自称する人士・勢力にとっても不可避・不可欠です。
鉄腕アトムが登場(=1951年以前です)した背景には、アメリカの策動とも次元を異にする当時の日本社会の思潮があったように思います。被爆者まで「平和利用」論に巻き込まれるような。
当方は、戦前の唯研あたりに問題の源泉があったように邪推しています。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2013-04-12 09:16) 

yamamoto

20世紀左翼「共犯・従犯」説,おっしゃる通りですね.タウン誌にそこまで書くわけにもいきませんが,平和運動,反核運動がほとんど完全に騙され,乗せられて行ったことぐらいは書けたかも知れません.
by yamamoto (2013-04-12 09:34) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

なお、科学的分析の課題を道徳的批判にすり替え矮小化してしまうユートピアンたちを厳しく批判したマルクスに、ウェーバー的な事実認識と価値認識の分裂が共有されているかのように言い立てる一部の議論は、マルクス理論が「主義=価値認識」でもあることを見ないデマです。
マルクス主義が、「科学や科学技術の価値的中立性」なるものを信奉して科学主義に拝跪する単なる事実認識などではないことは、都留重人氏なども指摘しています。

だから、「原子力平和利用」論の犯人にマルクスを仕立て上げることは、一知半解の産物でしょう。
諸悪の根源は、20世紀の経済的後進国の革命がもたらしたプラグマティズム、疎外された生産力主義=唯生産力主義あたりにあるのではないでしょうか。鄧小平の「白猫でも黒猫でも・・・・」論と同類の粗雑な思想です。
by バッジ@ネオ・トロツキスト (2013-04-12 09:34) 

バッジ@ネオ・トロツキスト

かなりトピずれで申し訳ありませんが、以下は、「平和利用」論の遠因にもなってもいるように想像しているので、なおも蛇足です(失礼!)

戦前の唯研の流れをくむ左派的研究者組織には、「科学技術」や「技術」についての物神崇拝的な歪曲・矮小化があるように思います。
この「物神崇拝」は、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』から『経済学教科書』にいたる一連の学問的著作内容とも通底しているようです。
スターリンは、歴史発展の究極的規定要因をマルクスの「物質的生活の生産」から「物的財貨の生産」に矮小化・俗流化しましたが、戦前の唯研以来の「技術=物的労働手段体系」説なども、マルクスが「形態規定と素材(質料)の混同」(『諸結果』原頁P.485)として戒めたタダモノ論=物神崇拝の一種だと思います。

こういう物神崇拝的技術観が経済的窮乏状況と結びつくと、「黒猫白猫」論やスターリン言語論のようなものが出てくる。
「複雑建造物」に対する無批判的崇拝思想が蔓延してしまう。
技術とその目的性が遊離してしまい、「過剰技術」信仰のようなものも生まれる。

まだ邪推の域を出ませんが、「平和利用」論の根源には「技術」概念の誤った規定態度も鎮座しているように思われるのです。

by バッジ@ネオ・トロツキスト (2013-04-12 10:17) 

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