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共産党はもっと組織の民主化が必要 [社会]

共産党第2回中央委員会総会の文書を読んで — その1

共産党の第2回中央委員会総会の文書を読んでみた.先の参院選での同党の深刻な後退を受けて,そうとう根本的な総括が期待された会議だ.感想としては,もっと包括的で,今までの同党の流れからすると「破天荒」と言えるほどの議論を期待したが,残念ながらそこまで行っていない.もちろん各論において様々の改善点が提起され,それはそれで有意義・有効なものだと思う.その意味で,この長大すぎるような志位報告・結語だが,党員や支持者には十分に読むに値する文書だろう.特に驚いたのは,上部機関が下部に成果を「日報」で,しかも数字中心で報告させていたという事実だ.硬直した官僚主義の見本という印象を受けるが,このようなおかしなことが当事者の意見交換だけでは改善されず,「中央委員会総会」という大がかりな仕掛けが必要だったということ自体が,官僚的硬直性の反映かも知れない.

以下は期待はずれだった点を挙げてみる.実は当ブログでは,これまで何回となく同党のことを議論してきた(検索窓に「共産党」を入力されたい).その議論の繰り返しも多い.応援のクリック歓迎

(1)まず何よりも,この会議自体の公開性,透明性が欠けている.
発表されるのは幹部(志位委員長)の発言のみで,会議の主体である中央委員の発言は,彼による「間接話法」でしか知ることが出来ない.ネット中継も幹部の発言に限られているようだ.また,この会議のために党内外から多くの意見が寄せられたというが,その内容も非公開である.「意見」というのは,それを提出する母集団のメンバーで共有されて初めて「意見」となる.そうでなければ封建時代の「目安箱」への投入と何ら変わらない.

(2)執行部の「責任問題」が議論された形跡が全くない.
路線や政策上の誤りを犯したという「責任」ではないが,志位報告自身が認めるように,党の後退には幹部の責任が大きい.つまり十分に有能ではなかった,有能な働きが出来なかった,という責任である.そうすると当然のこととして,人事に絡む責任問題が議論されてしかるべきだ.志位氏ら現在の幹部以上にもっと有能な人材が,あるいは国民に魅力的な人材が党内には一人もいない,ということは証明されていない.このような,他の政党では当然議論になるようなことが,共産党では全く議論にならない.これは一般国民にはとても奇妙に見えるだろう.

(3)中央委員会のメンバーの選ばれ方
 (「続き」で他にも多くの問題点を挙げる予定だが)このように中央委員会の議論がなかなか従来の枠をはみ出せない根本の原因は,中央委員会メンバーの選ばれ方そのものにあるのではないか.メンバーのほとんどは,県の役員や議員など,党活動や政治活動で生計を立てている「プロ」が圧倒的なのではないか.これでは党員の圧倒的多数を占めるノンプロのメンバーの意見や感覚を反映させることは困難だろう.なによりも国民の「皮膚感覚」を最も正直に反映しやすい集団はこれらの人々をおいて他にない.
 選出方法も,これは党大会で選ばれるのだが,おそらく,代議員にとって(自分の地元の県委員長など以外)ほとんど何処の誰かも知らないような名簿を「一括承認」という形で(もちろん形式的には個人別に○×)決められているのではないか.(同党の役員名簿にも肩書きは一切ない.)
 頻繁に党の意見を集約する機関として中央委員会の役割は極めて大きく,このメンバーがどの程度民主的に選ばれるかは,同党の柔軟性,応答性に大きく影響するだろう.一般の党員が自由に立候補できるようになっているかどうか,これは決定的に重要な要素だろう.(なお,「准中央委員」の選出のしかたが不明である.規約20条4項を見ると,中央委員会が決められるようにも読める.)

・・・・ 今日のところはこのあたりまでにします.続きはできれば数日中に.とりあえず関連する過去記事からいくつかのフレーズを挙げておきます.
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http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2010-06-17
出席者たちは,それぞれの職場や持ち場では,鋭い批判精神を発揮して活動しているはずだが,なぜここではそれを作動させないのだろうかと不思議に思った.あたかも,職場での「異端」の罪を,この集会での「従順」によって償ってでもいるかのように.

http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2007-09-23
党内の民主主義が未発達で,一般党員の意見が党の方針に反映しにくい.またその「反作用」として,一般党員も全国的な方針について意見を表明したりする習慣が乏しくなっているのではないでしょうか.「指示待ち人間」が多くなり,「集団の英知」が眠ってしまっています.もっと個人が自分の感性や認識に自信を持つべきです.「東京」や,代々木のオフィスを過信してはいけません.

http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2007-06-06
何と言っても問題なのは,この中央委員会自体の余りの非公開性であり透明性の欠如だ.委員らの発言はすべて委員長による「間接話法」でしか,それも極めて「要約」されてしまった形でしか知ることができない.

http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2007-02-18
中央委員会総会の決定に関しては全体的にも問題がある.「決定」と称しながら,決議でもなくすべてが幹部のそれも委員長一人の発言録である.このような,ふつうでない形態は一刻も早くやめなければならないと思う.

http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2006-01-14
それどころか,発言内容のほとんどは活動報告や経験交流であり,そもそも決議案に対する討論ですらないのだ.旧態依然たるこの「討論」スタイルには失望せざるを得ない.提出された議案は,議論の必要もないほど「完璧な」ものなのだろうか?
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コメント 3

latter_autumn

「日報」等に関する反省には異議ありませんが、これは選挙の敗因とはほとんど関係ないかと。

「公開性、透明性」については疑問ですね。
「党内外から多くの意見」なんて、公開したら「母集団のメンバーで共有される」んですか?
多いのなら読みきれないのでは。読まなきゃ共有とは言えない。

井上清氏の論文だって「読みきれない(というか、なかなか時間かけられない)」ですよねぇ。
http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-111.html

日報だって書く方も大変だけど読む方も大変なんじゃないですかね。
「党内外から多くの意見」も同じことでは。

「間接話法」というのは、「支部レベルで意見集約、要点まとめる」ということでしょう。
整理しないで一件一件全部公開して「共有」しようとするより、よほど合理的で効率的だと思いますよ。

路線や政策上の誤りを犯したという「責任」ではないし、幹部個人の不祥事の「責任」でもない。
どういう幹部の責任が問われるべきなのか、よく解らない。
従来の枠のどこをどうはみ出す必要があるのかも、よく解らない。

野球やサッカーの試合なら、勝敗を決めるのはプレイしている当事者、選手と監督でしょう。
観客は関係ない。観客が勝敗を決める訳じゃない。
観客が誰もいなければ勝敗が決まらずに引き分けになる、なんてことはない。

しかし選挙は違う。いわば、「観客が試合の勝敗を決める」ようなものです。
そこでは、観客は、選手と監督の顔はまあまあ見るけれど、プレイ内容(どちら側がより優れたプレイをしているか)までははっきり言ってあまり見ない。

選手と監督に責任があるとしたら、自分たちのプレイ内容でしょう。
しかしそれとはかけ離れたところで勝敗が決まるのだとしたら?
その場合の選手と監督の責任とは、具体的には何なのか?

「有能な人材が,あるいは国民に魅力的な人材が」にしてもですね。
みんなの党なんかは、人材が共産党よりも「有能あるいは魅力的」だったのか。
コイズミやイシハラやハシモトは?
中央委員会メンバーの顔ぶれを変えると、その辺りを逆転できるようになるのか。

by latter_autumn (2010-10-12 19:19) 

yamamoto

日本語の文章としての体裁はありますが,意味ある文章とは受け取れません.時間を取らせて消耗させたいだけ,という意図しか推測できません.
by yamamoto (2010-10-16 10:50) 

latter_autumn

「とにかく党中央のやってることは気に入らない」という思いは伝わりますが。
感情論の域を出ていないのでは。

論理的に説得力のある意見とは思えない、ってことです。
だからツッコミを入れている訳で。

党中央のやってることは、そんなにおかしいことですかね?
こういう会議や議論の開催と取りまとめ方自体が、そんなに問題なのですか?
その問題ゆえに選挙でも負けてしまうことが多いのだと?
by latter_autumn (2010-10-19 16:56) 

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