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権利不況・権利デフレ [社会]

凝固するマネー

先月初め頃流されたニュースだが,リーマン・ショック後の大不況にもかかわらず大企業が金を貯め込んでいるという.日刊ゲンダイの記事がいくつかのネットニュースで流れている.その一つ,12月4日のlivedoorニュースの冒頭を紹介すると・・・
それでも「内部留保」を増やし続ける大企業
●10年で倍増428兆円
 11月30日厚労省が発表した「勤労統計調査」によると、サラリーマンの給与は17カ月連続でマイナスだった。昨年来の大不況が労働者の懐を直撃している。ところが、不況にもかかわらず、大企業が内部留保を増やしつづけていることが分かった。売り上げ減、利益減、人件費減なのに、せっせと“貯蓄”だけ増やしているのだ。こんなバカなことが許されるのか。 ・・・・・
リーマン・ショックの後だけというわけではない.この記事によると,「日本の大企業はこの10年間で内部留保を2倍に増やしている。97年に209兆円だったのが、10年間で219兆円も増やし、現在428兆円にまで膨れ上がっている。国家予算の約5年分だ」そうだ.

労働者には賃下げや首切りをやっているのに,会社はせっせと「貯金」に励んでいる.これでは不況・デフレが加速するのも当たり前だ.

不況は世界的だが,デフレは日本だけという話を聞く.もしそれが本当なら,なぜ日本だけか,という疑問が当然生じる.その原因(の一つ)についての私の推理を述べたい.

「世間」を気にして権利を主張できない国民

その重要なヒントが私の職場である国立大学で得られる.国立大学の教職員は,昨年夏のボーナス減額にはじまって,本俸も減額されようとしている.当局側の理由は「人事院勧告」に「準拠」するため,というものだ.しかし国立大学の教職員は「法人化」後は公務員でなくなったため,人事院勧告には縛られない.しかも,すでに年度当初に,減額される前の金額で「運営交付金」として大学にお金が渡されているのである.したがって大学首脳部は,ボーナス減額で浮いたお金をどう使うかに頭を悩まされることになる.

問題はこれへの組合の対応だ.何の法的根拠も,合理的な理由もなく,賃金やボーナスが減額されることに対して,まともに抵抗しようとしない.口では「反対」,「不同意」と言うが,行動がない.納得できない時は,最終的にはストライキを背景にした戦術を考えるのが常道だが,執行部は「スト」という言葉を使うことすら避けようとする.なぜか?

それはひとことで言えば要するに「世間が怖い」ということだろう.「世の中にはもっと厳しい状況の人たちもいるし,国の財政も厳しい.税金から給料をもらっているくせに,このようなご時世にストとは何事か」というような「批判」をあらかじめ予想し,「自粛」するのである.(他に想定される「批判」はあるだろうか?)

この想定批判はもちろん非論理的である.国立大学の教職員の賃金を下げたからと言って,そのお金が「もっと厳しい状況の人たち」に回るわけではない.また,その浮いたお金を国庫に返納するということでない限り,「国の厳しい財政」にも何の役にも立たない.(実際,大学当局側は,浮いたお金を「教職員の福利厚生」のために使う,などと言っているのである.)

むしろ賃金として支払った方が(「補正項」的な額とは言え)所得税や消費税としていくらか国庫に戻る.大学が物品や役務を購入した場合は,直接には後者のみが国庫に戻るだけである.「もっと厳しい状況の人たち」の利益という点でも,賃金の方が有利である.大学からは慈善団体などに寄付は出来ないが,個人なら出来る.

このように,賃下げに「実力で」抵抗することには十二分な正統性があるのだが,それをしないのである.このようなメンタリティーは大学教職員に限ったことではなく,この社会で相当一般的なものだと思う.つまり,経済的権利についてきちんと自己主張しない態度が,組合の姿勢にも反映し,冒頭のニュースにあるような,経営者の勝手な振る舞いを放置することになっているのだ.

逆に労働者がストを背景にその物質的利益を守る態度に出れば,会社はこのような過剰な「貯金」など出来ないだろう.つまりマネーが凝固して,いわば「ブラックホール化」してしまうのを抑止できるだろう.

つまり,労働者としての当然の権利を主張しない,行使しないことが,「金の回り」を悪くし,不況とデフレを助長している,そう言えないだろうか?原因のすべてではないにしても,その10〜20%ぐらいのファクターとなっていないだろうか?経済学者の意見を聞きたい.

[ 当ブログ内の関連記事 ]
一方的賃下げ(ボーナスカット)に抵抗しない組合を批判する一組合員の意見(09年6月)
おカネの間の引力を補正するための税制(05年10月)
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ぱらいそ

全くおっしゃる通りだと思います。でも私には目先にとらわれ合理的な判断力を失いつつある「世間」の「批判」に対抗する手だてが浮かびません。それなしにストを仮に打ったところで望ましい結末にはならない気がします。

いったいどうすればいんいでしょうね…。
by ぱらいそ (2010-01-11 19:15) 

yamamoto

あらかじめ「批判」を恐れて何もしないことが最悪と思います.ストも「表現行為」の一つであり,社会とのコミュニケーションの手段なのです.つまり組合の「コミュニケーション能力」が問われているのだと思います.それに対して「批判」されればそれに答えることでさらにコミュニケーション能力が高まります.「言葉」だけでは説得力は弱いものです.行動がともなってこそ,人に訴える力があります.
by yamamoto (2010-01-11 21:07) 

いかがでしょうか

非常に興味深いご意見と感じましたのでコメントを書き込みさせていただきます。
想定批判の箇所なのですが、想定批判に対して賃金減額を行い対応することは理にかなっているのでは無いのでしょうか。
「世間」とは非論理的であり、マスコミは「やっかみ」を燃料として「世間」を焚きつけ、非論理的な行動に拍車をかけます。
このような外部環境の中で「世間」からの「支持」を取り付け、企業(組織)を維持し続けるためには、「世間」の批判を想定し、必要な対応を行う必要があるように思うのですが。
それとも、「世間」の非論理的な批判を指弾する為に「世間」と対峙するのが、企業(組織)を構成者として正しい判断なのでしょうか。
ご教示賜れば幸いです。
by いかがでしょうか (2010-01-30 21:45) 

yamamoto

実際に批判もないのに先回りし過ぎるのはおかしい,というのがこの記事の主旨です.そのような,あいまいな「世間」というものを忖度し過ぎるメンタリティーが日本社会の主流だと思いますが,少しづつでもそれを変えて行かない限り,この社会はいつまでも強い抑圧性を持ち続けます.あいまいな対象に対して「自重」するのではなく,自分にとっての利益を遠慮なく主張する,その上でフェアーに,あからさまに調整し合う,そのような気風に切り替えたいというのが私の考えです.
それから,個人の利害について考えるとき,経営側と労働者(「構成者」の多数)とを区別して考える必要があります.私の記事は,あくまでも労働者の立場からの意見を述べたものです.
by yamamoto (2010-02-01 18:48) 

いかがでしょうか

さっそくのご教示ありがとうございます
よろしければもう少しお付き合いいただけると有りがたいです
忖托については風評リスクへの対応と考えますがいかがでしょうか
対応のレベル感についてはおっしゃる通りもう少し踏み込んでも良かったかもしれませんが保守的評価としては風評リスクが生じなかった観点から一定の成果を認めても良いように思います(今回の議論の主題は従業員の処遇が天秤にかかっているのでモチベーション維持への配慮が重要ですが)
次に権利の主張の部分ですが商売(教育も知識を生徒に販売をしていますので商売の一形態と考えます)は世間に物を買っていただいてその対価として利(給料の元ですね)を得ます
その利のレベル感はあくまでも世間が善しと決めるもので販売者側の権利では無いように思うのですがいかがでしょうか
最後に経営者と労働者という区分をつけるのが良いのでしょうか
今話題になっているトヨタのカイゼン活動などは各ラインの従業員が経営者の目で自分の仕事を見つめないとできないものです
その観点で言えば全従業員がレベルの違いはあるものの経営者なのではないのでしょうか
by いかがでしょうか (2010-02-02 07:44) 

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