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テレビドラマ『浅見光彦シリーズ第27弾 竹人形殺人事件』 [メディア・出版・アート]

重要問題が混み合っていますが、他のブロガーの記事へのリンクでご容赦を。

■不当判決を斬る〜浜岡原発差し止め訴訟弁護団海渡雄一弁護士 (情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)/ ■自公が共産党市長を追い落とそうとしている、2007年10月28日投票の東大阪市長選によせて (村野瀬玲奈の秘書課広報室)/ ■舛添、卑怯なり〜こっそり、生活保護を切り下げるための検討会を開催〜メディアは報道せず… (情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)

さて、フジテレビで昨夜放送された推理ドラマ、『竹人形殺人事件』(浅見光彦シリーズ27)はなかなか骨太の作品だった。大観音堂の建立計画をめぐる利権と不正に、越前竹人形とその作者たちを絡ませた推理ドラマだ。
 番組ウェブサイト http://wwwz.fujitv.co.jp/asami/index2.html

若手の女性の地方紙記者が、地方の有力者にまつわる不正疑惑を追及する。しかし、力を入れて書いた記事をデスクにボツにされてしまう。その先輩記者で、新聞社にいたらホントのことが書けないと、「ペンの力を信じて」退職し独立した平石という男、そして主人公のルポライター浅見光彦、この3人が地域の悪に挑む。

再放送があるかも知れないので詳しくは書かないが、意外なところに悪(下手人)は存在した。この設定もこの種のドラマとしてはやや異色。その異色さは買うが、ただその人物の状況設定が薄すぎて、現実感がない。一方、「巨悪」の方は観る人の想定どおりで安定している。

現実の世界では、中央にせよ地方にせよ、権力や権力者が絡む場合、殺人はヤクザというテロ装置に請け負わせて実施されるので、このテロ装置の存在を度外視したこのドラマがいま一つ現実感欠くのは否めない。

「新聞社にいたらホントのことを書けない」という平石の言葉は、「テレビ局にいたらホントのことを言えない」というフレーズとして、そのままこのドラマを放映した業界にも投げかけられるのだろう。

この種の軋轢はどの世界にも、どの業界にも、様々に形を変えて多かれ少なかれ存在し、「完全な自由」*などはどこにもない。その中でどこまで個人の良心の領域を広げることができるか、その程度(アナログ量と、ある場合にはyesかnoかのデジタル量)で、一人ひとりの責任と度量が試されるということだろう。

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このドラマシリーズのウィキペディア記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/浅見光彦シリーズ

* 「完全な自由」があるとすれば、そこが持つ社会的影響力がゼロであることを意味するのだろう。


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