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西日本新聞の記事,「阿修羅」での投稿に関して [メディア・出版・アート]

 西日本新聞の記事に関する私の批評を「阿修羅」が取り上げてくれていますが,それへのフォローアップ投稿の内容は意外でした.
 http://asyura2.com/0601/senkyo18/msg/175.html

被害者と加害者の両者を対等に取り上げ,余計なコメントを入れていないので優れた記事だと言うのです.もとの新聞記事に関して抗議が殺到しているというわけでもなさそうなので,むしろこのような見方をする人が多いのかも知れません.でもそれは,はっきり言って詭弁です.

 以下,上記URLにある片瀬テルミドール夏希さんの文章にコメント致します.
 [訂正:コメント頂いたように, 片瀬テルミドール夏希さんではなくJun Rajiniさんでした.
  以下では書き直しています.]

 Jun Rajiniさんは価値中立的な立場の実在を仮定して,「両者」あるいは「両論」を対峙させているから公平という見方のようですが,実は「対峙」のラインの引き方そのものに価値観が含まれる,含まれざるを得ないのです.そしてその「位置」を私は問題にしているのです.

 たとえば,この事件の場合,

(1)本島氏に対して「致命傷を狙うべきだったか否か」

という対峙ラインもあり得ます.これはテロリストが好むところかも知れません.
逆に,当時の言論状況を思い出しますと,

(2)「『言論の自由』の擁護で論陣をもっと張るべきだった」か,それとも「『私も天皇に戦争責任があると思うと』いうように,むしろ内容にまで踏み込んだ言論こそが必要だった」

という対峙ラインもあり得ます.
  ( (2)の場合,前者は一応安全ですが,後者では自分も生命の危険を
   覚悟しなければならなかったわけです.残念ながら当時後者の言説
   はほとんど見られませんでした.つまり多かれ少なかれ「テロの脅し」
   が効いたと思われます.)

 このように,どこに「対峙ライン」を引くかで登場人物も変われば,言説の範囲も変わるのです.ちょうど写真を撮るとき構図を決めるように.

 有限の,高価な新聞紙面をどう使うかは,このように価値観に大きく左右されます.この記事の場合,「言論の自由と暴力は両立しない」と,「テロも言論の手段の一つ」との間に対峙ラインを引いてしまったわけですから,これは常軌を逸したものだと指摘したわけです.単純な殺人未遂犯とその被害者とを対等に議論させたりするでしょうか?そんなことはしませんね.それと同じ事です.少なくともこの記事は「正気塾」を堂々と露出させたという点で,この団体の宣伝になっていることは間違いありません.

 一つの思考実験(あるいは思考観察と言うべきでしょうか)を提案しましょう.この記事を読む前と後で,この記事に関連するような話題に関して,あなた自身の今後の言動は,非論理的な,非理性的な影響を全く受けないでしょうか?そのような恐れはないでしょうか?「天皇の戦争責任について何か言うと狙われるかも知れないな」「この人をあまり強く批判すると“厄介な”ことになるかも知れないな」,そんなふうな考えがわずかでも頭の隅をよぎったりしませんか?

 必ずしもJun Rajiniさんの言いたいことと噛み合っていないかも知れませんが,取り急ぎキーを叩きました.


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片瀬テルミドール夏希

ペガサスさま

http://asyura2.com/0601/senkyo18/msg/175.html

http://ch.kitaguni.tv/u/1411/%bb%fe%bb%f6/0000305633.html

は片瀬テルミドール夏希の文ではなく

Jun Rajini さん

http://ch.kitaguni.tv/u/1411/

の文です。あしからず。
by 片瀬テルミドール夏希 (2005-12-29 19:51) 

yamamoto

大変失礼しました.本文中に訂正を挿入しました.
by yamamoto (2005-12-29 20:38) 

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